マンボウやしろ 引退し脚本家の道へ!お笑い出身の脚本家は? [芸能]
お笑いのマンボウやしろが引退することをツイッターで発表しましたね。
昨日、よしもとも発表内容を認めています。
(出典http://search.yoshimoto.co.jp/talent_prf/?id=077)
マンボウやしろは眉毛が特徴的(ない?)で、なかなかインパクトの強い芸人さんですよね。
最近はあまりテレビに出ていなかったように思うのですが、そのあたり引退の原因だったりするんでしょうか?
引退の経緯やお笑い出身の脚本家の方について調べました。
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マンボウやしろは2011年に相方の引退をきっかけにピン芸人となりました。
同年、ブラマヨの番組内でブラマヨ吉田から5年後にサイコロを振って「1」が出なければ、芸人をやめればいいという助言を受け、5年後サイコロを振ると宣言していました。
5年が経ち、2016年7月16、17日のルミネの「マンボウやしろの告別ショー『サイコロ出鱈目』」のエンディングでサイコロを振る予定だったそうですが、事前の関係者との話し合いでサイコロを振る前に引退を決めツイッターで発表しました。
本人のコメントとして
「ゼロから脚本の勉強をしていきたいと思います。
今やらせてもらってる仕事だけは吉本と局の方々の話し合いで最後までやらせてもらえることになりました。
最後まで頑張ります!ありがとうございました」
と、違う世界で再起をかけ、新しい道に進むことになったようです。
なかなか芸人として続けていくには、厳しい状況だったみたいですね。転職、転身よくある話だと思います。
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マンボウやしろのように脚本家に転身した元芸人さんを調べてみました。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
【西田征史】ご存知でしょうか?
なんとNHK朝の連ドラ「とと姉ちゃん」の脚本を西田征史が書いています。
もともとお笑い芸人で1994年コンビ名「ガラパゴス」を結成しました。
その後会い方も数回変わり、コンビ名もいろいろ変わったようです。
お笑いのかたわら、大学に通いながら劇団「携帯万能カプセル」の俳優も務めていました。
結構、男前なので舞台役者もできたんでしょうね。
その後、小林健太郎の演劇作品に出演中に脚本のコンペを受けることなり、その時、映画「ガチ☆ボーイ」の脚本に抜擢されたことがきっかけで、脚本家の道を進むことになったようです。
マンボウやしろのように芸人として厳しい状況は同じで、年収80万円という時代もあったようです。
最近(少し前)では、「信長協奏曲」「怪物くん」「妖怪人間ベム」などの作品も手掛けていました。
<最後に>
舞台の表に立ち輝く人と舞台の裏で輝く人、誰しも向き不向きがあると思うので、自分が発揮できる分野で活躍してもらいたいなと思います。
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昨日、よしもとも発表内容を認めています。
(出典http://search.yoshimoto.co.jp/talent_prf/?id=077)
マンボウやしろは眉毛が特徴的(ない?)で、なかなかインパクトの強い芸人さんですよね。
最近はあまりテレビに出ていなかったように思うのですが、そのあたり引退の原因だったりするんでしょうか?
引退の経緯やお笑い出身の脚本家の方について調べました。
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引退の経緯
マンボウやしろは2011年に相方の引退をきっかけにピン芸人となりました。
同年、ブラマヨの番組内でブラマヨ吉田から5年後にサイコロを振って「1」が出なければ、芸人をやめればいいという助言を受け、5年後サイコロを振ると宣言していました。
5年が経ち、2016年7月16、17日のルミネの「マンボウやしろの告別ショー『サイコロ出鱈目』」のエンディングでサイコロを振る予定だったそうですが、事前の関係者との話し合いでサイコロを振る前に引退を決めツイッターで発表しました。
本人のコメントとして
「ゼロから脚本の勉強をしていきたいと思います。
今やらせてもらってる仕事だけは吉本と局の方々の話し合いで最後までやらせてもらえることになりました。
最後まで頑張ります!ありがとうございました」
と、違う世界で再起をかけ、新しい道に進むことになったようです。
なかなか芸人として続けていくには、厳しい状況だったみたいですね。転職、転身よくある話だと思います。
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お笑い出身の脚本家
マンボウやしろのように脚本家に転身した元芸人さんを調べてみました。
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【西田征史】ご存知でしょうか?
なんとNHK朝の連ドラ「とと姉ちゃん」の脚本を西田征史が書いています。
もともとお笑い芸人で1994年コンビ名「ガラパゴス」を結成しました。
その後会い方も数回変わり、コンビ名もいろいろ変わったようです。
お笑いのかたわら、大学に通いながら劇団「携帯万能カプセル」の俳優も務めていました。
結構、男前なので舞台役者もできたんでしょうね。
その後、小林健太郎の演劇作品に出演中に脚本のコンペを受けることなり、その時、映画「ガチ☆ボーイ」の脚本に抜擢されたことがきっかけで、脚本家の道を進むことになったようです。
マンボウやしろのように芸人として厳しい状況は同じで、年収80万円という時代もあったようです。
最近(少し前)では、「信長協奏曲」「怪物くん」「妖怪人間ベム」などの作品も手掛けていました。
<最後に>
舞台の表に立ち輝く人と舞台の裏で輝く人、誰しも向き不向きがあると思うので、自分が発揮できる分野で活躍してもらいたいなと思います。
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